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シェビオットロッジ〜パースのバッパー〜
パースについて初めに泊まった宿‥

シェビオットロッジ
(バックパッカーズ)には、

予定外にも10月30日〜12月9日まで約一ヶ月半も泊まってしまった

こうちんとは初めてのバッパー体験。
ドミを外して、ツインの部屋を日本から予約。
一週間250ドル。

行ってみて話を聞いて見ると、パースで最安の宿だったみたい。
(ドミ90ドルくらい。)


最安だけあって、色んな人がいました、ココ

宿は、中国人オーナー経営。
空港まで無料ピックアップがあって迎えに来たのは
ひょろ長いオージー?おじいちゃん。
おじいちゃんがみんな優しいというのは勘違い。
オーストラリアについてまだ緊張している私たちに「10ダラー」とか言って
せがんでくる。「無料でしょ?」っていうと無視。
車の中でも意味の分からない英語をブツブツ‥無表情。
あいさつしても無視

もうキライ、キライ、こんなやつってシカトを決めました。
でもね、一ヶ月居て、知ったんです。
すごいシャイで、実はお茶目な人だってことを‥
あれは全部ジョークだったということを‥

宿では「グランパ」と呼ばれ、結構人気者でした
(私は最後までちょっと苦手だったけど。コミュニケーション難。)

従業員も濃かったけど、泊まってる人も。

最初は、人見知り全開でなかなか

日本人にも声が掛けれなかった‥

だってなんかみんな黒くてちょっと汚めなんだもん
そして、なんかテニスボール回してるし‥

最安の宿だもんね

テニスボールっていうのは、
ハワイなんかのショーでよく見るファイヤーボール(ポイ)の練習なんだけど
その存在も実は友達がやっててやってみたこともあったけど、
私がやったことあったのは、かわいい色した練習用のやつであって、
テニスボールじゃなかった。。なんか異様に感じちゃった。


私たちは、のちにその感じの人達を
“the ワーホリ”って呼ぶんだけど、

特徴

★ひげ
★長髪め
★タイパンか水着をきている。
★基本楽器を持ち歩く。 あと、ファイヤーダンスの道具。
★仕事は基本、楽しい。
★日本では自分で会社を起こすなどの野望をもつ。
★教えるのが好き。
★悪意はない。

こんな人がいっぱい居たのー!!
最初、みんなそんな風に見えちゃったよー

でも、1週間くらい経ったら、みんながそんなんじゃないって分かった

そんな人も多かったけど、基本、すごく親切でとても助かった。


あと私たちがここに着いたとき、
ここはオーストラリアだよね‥??と確かめたくなるほど

中国人がいっぱい!!!!!

たぶん5割中国、3割日本人、2割その他ってくらいに

でも、最初、“中国”って一括りにしてたことは、
今ではとても申し訳ない。

彼らは台湾人香港人であって

中国人ではない。


いっしょに生活してみて、すごく今まで無知だったことが分かった。

台湾人は、日本のことをこんなに知ってたり、

すごく良く思ってくれてて‥大好き台湾、台湾人

※台湾人については、また詳しく。。


そして、その他の人種についてあげたら、

忘れてはいけないのが、不良おやじ組

泊まってないのに、毎晩やってきて、音楽をかけてご機嫌

マリファナ吸って、お酒を飲んで、踊ってる

面倒なときもあるけど、基本優しいし、お酒もただでくれたりして
陽気なオージースタイルを感じる

でも、台湾人や香港人は滅多にこの人たちには関わらず、
たまに混じるアジア人は日本人だけ。

欧米人は、「日本人の方がフレンドリーだ!」なんて言うけど、
きっと日本人の方が欧米への憧れが強いだけ。
だって、彼らはあんなにもフレンドリーだもん

台湾人、香港人は自分たちのやり方でとても仲良く楽しそうにやっている


私の初めてのバックパッカーはこんな感じの宿でした。
†2007/12/09 10:32 †
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旅の理由
旅の理由ってほどではないけど、

今回のワーホリに至る経緯は‥


単純に言えば、憧れ

二十歳のときに大学の夏休みを利用して一ヶ月だけオーストラリアの語学学校に留学した。

そのときに感じた新鮮さがずっと忘れられなくて‥

たぶんそのとき密かに決めていた「また戻ってこよう」って。

“外国”がちょっと分かった。次は生活してみたい!



そんな気持ちもありつつも英語の勉強にあまり力が入らないまま(←今の後悔)

大学卒業が近づいて、将来の職業を決めなきゃいけなくなったとき

日本で自分がずーっと同じ会社で好きかもわからない仕事をする

イメージがまったく湧かなかった‥


それで見つけた仕事が日本語教師


私にはとても魅力的な仕事だった。


海外で働けるかもしれない。

海外の人と深く話せるかもしれない。


ずっと海外に飛び出してみたかった。

でも、日本の大切なものを失うかもしれない気持ちと
ひとりで行く不安な気持ちがずーーっと私を邪魔していた。


それをずっと見ていた17のときから付き合っている彼は、
私に「いっしょにオーストラリアに行かないか?」って提案してくれた。


たぶんそれは本人が行きたかったんじゃなくて
私の背中を押してくれたんだと思う。


これで私の足かせは外れた。

そして今、オーストラリアに飛び立ちます


)


†2007/10/29 21:10 †
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